マッケンジー理論

始めに

今年(2018年)で、アメリカから帰国して25年を迎えます。アメリカでは約14年間過ごしました。アッという間の14年間でしたが、日本に帰国してからの25年もアッという間でした。


帰国してからの最初の10年間は、アメリカで修得したカイロプラクティックのダイレクト・テクニック(直接法)を集大成することに努め、「ダイレクト・テクニックPart1~2」(たにぐち書店)を書き上げました。その後、多くの一般の人が疑問に抱くカイロプラクティックとは何だ?という問いに答えるために書いた「カイロプラクティック物語」(同上)を経て、「カイロプラクティック各論1~3」(同上)を通して、テクニックだけでなく、カイロプラクターとして、または医療に携わる者として知っておくべき、または考慮すべきことをご紹介してきたつもりです。


しかしこの数年、「これで良かったのか?自分のやるべきことを全うして来たのか?」という疑問を抱き始めました。


今から20年以上前になりますが、故・江崎健三 氏(前・江崎器械株式会社 社長)から相談を受けました。「これからの日本で必要とされるテクニックや、カイロプラクターに不足している知識は何かありませか?」と聞かれた時、自分なりに悩みました。


当時の自分はアプライド・キネシオロジー(以後、AKに省略)協会の会員であり、どっぷりとはまっていたので、当然ながらAKと言いたかったのですが、AKはマニアックな部分や、複雑な部分が多々あるので、まだ日本に紹介するのは早すぎるかも知れないという気持ちがありました。


それよりも帰国して数年経って感じていたことは、かなり多くの人(自称カイロプラクター)の治療を横目で見ていると、かなり危ない施術を施している人たちがいることに危機感を抱いていました。当時は余り訴える人はいませんでしたが、今では大変なことになるような治療を施している人が多く、眼を覆いたくなるほど多かったのです。


そこで提案したのが「マッケンジー・メソッド」でした。当時はマッケンジー・メソッドのことは知ってはいましたが、自分の治療には取り入れてはいませんでした。当時は既に自分の治療体系がある程度成り立っていたので全く概念が異なるマッケンジー理論をなかなか取り入れられずにいたのです。しかしマッケンジー・エクササイズの安全性は理解していましたので、敢えてマッケンジー・メソッドをお勧めしました。


すると故・江崎社長は自分の提案に理解してくださり、早速マッケンジー協会に連絡して、権利を取得するように動いてくれました。またマッケンジー協会から発行されている"腰椎"編と"胸椎・頸椎"編の翻訳を進めるように依頼されました。


実はマッケンジー・メソッドを設立したロビン・マッケンジー(理学療法士)は、カイロプラクティックやオステオパシーを嫌っていました。詳細は分からないのですが、"腰椎"編でも、「カイロプラクターやオステオパスが貢献したのは、背骨を後方から前方に押したことぐらい」と酷評していた程です(ですから翻訳の際には割愛させて頂きました。今、告白します)。


ですから権利を取得するまで2年以上の歳月がかかりました。しかしマッケンジー協会のインストラクターの資格を所得していたギャリー・ジェイコブDCが一生懸命に働きかけて頂いたお陰で、なんとか権利を得ることが出来ました。


そして"腰椎"編や"胸椎・頸椎"編も発行することが出来、ギャリー・ジェイコブDCも毎年のように来日してセミナーを開いて頂けました。自分も数年に渡り、通訳もさせて頂きました。


その頃から翻訳もさせて頂き、また通訳までしていた自分は、自分の治療にマッケンジー理論を取り入れないのも不自然だと思うようになりました。また翻訳や通訳をさせて頂いたお陰で、それまで上辺だけしか理解していなかったマッケンジー理論が分かってきたような気がしたのです。


そこで自分の治療にマッケンジー・メソッドを取り入れようと決心したのです。しかしマッケンジー理論を取り入れると、カイロプラクティックの検査や治療が出来ず、反対にカイロプラクティックの検査や治療を主に取り入れると、マッケンジー理論を取り入られずに苦労しました。


何とか両方をうまく取り入れられるようになるまでに3カ月以上も要したのを覚えています。ある程度まで自分の治療体系を成立させている人に、全く異なる治療体系を取り入れるのは非常に難しいことを実感しました。


今ではカイロプラクティックとマッケンジー理論を取り入れながら治療を施すようになりました。また20年ほど前から発生学や動物行動学などの勉強をしながら、脊柱に及ぶ彎曲の理由や、必要性や重要性に気付き始め、カイロプラクターが重要視する背骨の椎骨の関節に生じる"サブラクセーション(関節の歪み、または可動性の減少)"だけではないことも学びました。


前述しましたが、帰国して25年が経とうとしている今、自分が故・江崎社長に勧めたマッケンジー・メソッドをそのままにして良いのかと自分の無責任さに気付いたのです。自分が苦労して取り入れたマッケンジー理論でしたが、他の人たちも四苦八苦して取り入れてでは、余りに無責任だと思うようになりました。


帰国して25年が経つ今、自分は20年以上前から封印していた、新たな治療法に挑む決心をしています。詳細は省きますが、ライフ・スパンで挑戦します。ですが一方で、マッケンジー理論を、どのようにカイロプラクティックに取り入れるのか、どのように理解すべきなのかをご紹介すべきだと思うようになりました。


この本が出版されるまで、これから数年かかると思います。取り敢えず少しずつになりますが、HPに連載して行くことにします。


よろしくお願いします。

第1章  概論

今までに"腰痛"患者に対して、数多くの治療法が施されてきました。薬剤、手術、理学療法、カイロプラクターやオステオパスによるマニピュレーション、マッサージ等、数え切れない治療法が施されて来ました。


しかし日本では、1920~40年代に普及されたと思われるウイリアム・エクササイズを始めとする古い概念にいまだに縛られ、背中を丸めて横向きで寝かせたり、膝の下にクッションをひいて寝る方法を指導されている人たちを、いまだによく見聞きします。


今ではやっと一握りの日本人医師達がマッケンジー・システムを受け入れているようですが、まだまだ大きく普及されているとは思えません。


それは日本の医学界は、いまだに縦割社会であるのと、特にモービリゼーション(受動療法:Mobilization)や、マニピュレーション(スラストや直接法::Manipulation)等の手技による施術は、メディカル・ドクター(西洋医学:MD)である医師には、受け入れ難いと考えられます。


マッケンジー・システムはニュージーランド出身のロビン・マッケンジー氏が1960年代に開発し、ヨーロッパなどに広がり、アメリカでも理学療法士や、カイロプラクティック業界では1990年代に取り入れられています。世の中ではマッケンジー氏は、"理学療法の神様"とも称されていたと聞きます。


自分は1990年代にアメリカに滞在中に、カイロプラクターに向けての初めて開かれたマッケンジー・セミナーに参加した一人です(3日間だったと思う)。詳細は調べられませんでしたが、おそらくロビン・マッケンジー氏がカイロプラクターに向けて初めてで、最後のセミナーだったのだと思います。今では素晴らしい体験だったと感謝しています。


セミナーに参加した時は驚きました。私たちカイロプラクターとは全く異なる見地や、初めて見る検査法や治療法だったからです。


カイロプラクティックは1895年から始まった治療方法です。ある人たちは、カイロプラクティックは、レントゲンの歴史と重なると評します。レントゲンが発明されたのも1895年だったからです。


自分が帰国してから25年も経ちますので、今でもカイロプラクターがレントゲン検査を土台にしているかは分かりません。しかし自分がアメリカで働いていた頃は、まずはレントゲン検査でサブラクセーション(関節に及ぶ僅かな歪みを指し、日本の整形外科が指す亜脱臼とは異なります:Subluxation)を検出して治療するのが一般的でした。


幸い、自分がお世話になっていたオフィスのボス(恩師である中川貴雄DC)は、レントゲンを撮影することを嫌い(少なくても患者は被爆するのですから)、極力、静的触診法(Static Palpation)や、動的触診法(Motion Palpation)を用いて検査をする方法を勧めていました。その影響で、自分は今でもレントゲン写真を読むのは好きですが、撮影するのは嫌いになりました。その意味では、マッケンジーの考えに近かったのかも知れません。


セミナーは驚きの連続でしたが、一番印象に残ったのは、マッケンジー氏のしつこさでした。自分が納得出来なければ、繰り返し検査を行い、またはエクササイズを繰り返し、痛みの場所や質の変化を求め続け、必要であれば再びエクササイズを繰り返し、後で詳しく説明する"中央徴候"や腰椎の可動域の改善を求めました。


セミナーでは本当に腰痛に苦しんでいる患者が呼ばれ、実際の検査と治療が実践されました。数名の"姿勢症候群"、1~2名の"機能不全症候群"、そして数名の"内障症候群"(詳細は後で詳しく説明します)だったと覚えています。


マッケンジー氏は確実に鑑別できるまで検査を繰り返し、数回のエクササイズ後の疼痛部位や質、可動域を詳しく検査しながら、治療を続けていました。患者の少しの変化も見逃さず、「なる程なあ」と感心しながら観ていました。


セミナーは驚きの連続でしたが、マッケンジー氏は「診断は必要ない」と話した時は、椅子から転げ落ちてしまうほどの驚きでした。彼は「すべり症でも分離症でも、腰椎の伸展エクササイズで中央徴候や、可動域の改善が得られるのであれば、伸展エクササイズを選択しなさい」と説明しました。これは自分が帰国した1993年に、カイロプラクティックのレントゲン学の権威が「すべり症や分離症でも、屈曲位で悪化する可能性がある」とレントゲン写真を載せた文献を読んで確認することが出来ました。


マッケンジー氏は、診断することが大切なのではなく、その患者の身体が示す徴候を大切すべきだと臨床上で経験したのでしょう。つまり身体は偽らないということなのだと思います。枠に捕らわれずに、患者の身体から生じる声を正しく受け入れなさいと教えてくれました。


マッケンジー氏はある時、腰痛と下肢への痺れが生じていた患者が訪れた時に、「隣りの治療室でうつ伏せになって待っていて下さい」と指示を与え、後から行ってみると、上半身を上げた椅子のような状態で、うつ伏せで寝ていた患者を見たとき、自分の治療人生は終わったと直感したそうです。それまでは腰痛患者の腰椎を伸展してはいけないというのが定説だったからです。マッケンジー氏は、患者を恐る恐る治療台から立たせ、症状を尋ねると、腰痛は脊柱の中央に集中して悪化しているが、下肢の痺れは消えていると答えたそうです。それがマッケンジー・システムを開発するきっかけとなったそうで、数年かけて改良を繰り返し、システムを集大成したそうです。


今では腰椎の前彎の必要性や重要性が理解され始めていますが、当時は腰痛の患者を伸展させるのはタブー中のタブーであったようです。次章から腰椎の前彎の必要性や重要性を詳しく説明して行きますが、当時はピタゴラス的一大事だったようです。


この本はカイロプラクティックが重要視するサブラクセーションよりも、腰椎や頸椎に形成される前彎に注目して説明を加えて行きます。何故、頚椎や腰椎には前彎が形成されたのか、彎曲の必要性とは何だろうか。何故、下部頸椎や下部腰椎にヘルニアが形成されるのか等を考えてみたいと思います。

第2章  脊柱に及ぶ彎曲

私たち人間の身体の中心には、脊柱と呼ばれる骨で身体(頭部や体幹"たいかん")を支えています。首の辺りを頸椎(けいつい)と呼び、通常は7つの骨(椎骨:ついこつ)が含まれています。続いて背中の上部から下方に向けて肋骨と面している椎骨が12個あります。これを胸椎(きょうつい)と呼びます。そして肋骨と面していない背骨の下方に位置する腰の部分には、通常は5つの骨があり、これを腰椎(ようつい)と呼んでいます。


つまり私たちの背骨には、合計24個の椎骨で形成されています。その椎骨は頸椎の上部2つ(後頭骨"こうとうこつ"と環椎"かんつい"の間、環椎と軸椎"じくつい"の間)を除いて、椎間板(ついかんばん)と呼ばれるものが含まれ、クッション的な機能を果たす部分で繋がっています。この椎間板は、これから紹介して行く腰痛や、首の痛み、頭痛、肩凝りなどと密接な関係がありますので、しっかりと覚えておいて下さい(椎間板については別の章で詳しく説明します)。


さて皆さんは、人間の祖先は"サル"だと聞いたことがありますよね。余談になりますが、以前になる程なあと驚いた経験がありますので、ここでご紹介して置きます。


皆さんは、私たちの祖先は"サル"だと言われても、余り違和感を受けないと思います。多くの日本人は、「あなたの祖先は"サル"」と言われても「アッソウ」で済むと思います。自分もそうでした。


しかし自分がアメリカの普通の大学で人類学を専攻したとき、その時の教授(准教授)が、「皆さんの中で、自分たちの祖先は"サル"ではないと思う人は、どの位いますか?」と質問すると、何と過半数の学生が手を挙げたのです。「エッ」と驚きました。でもその時は驚いただけで、深く理由は考えませんでした。しかし帰国したある時、進化論についての本を読んでいた時に、その理由を知ることが出来ました。本には、多くの一神教を信じる人達は、私たち人間は「神」が作り上げた存在だと信じているのだそうです。「それでかあ」と気付きました。キリスト教を始めとする多くの一神教の信者たちは、私たち人間は「神様」が作り上げたと教えられているのです。つまり多宗教(または無宗教)である多くの日本人は、チャールス・ダーウィンが提唱した"進化論"を受け入れることが容易にできますが、世の中の多くの人たちには、中々受け入れられないのだと理解できたのです。


では次に"サル"の前は?という疑問に迫ります。


今の時点では、余り深い関連はないと思われますが、何時か真剣に討論すべき問題となるかも知れませんので、宇宙の簡単な歴史から始めましょう。


私たちの宇宙は約137億年前に"ビックバン(インフレーションが先だという説もあるようですが)"で始まり、地球が出来たのは約46億年前、そして生物が誕生したのが約38億年前と推測されています。海の深い海底で発生したと考えられていますが、この時点ではバクテリア段階ですので、今の私たちとは程遠い存在です。それから水中に藻のような生物に進化して、酸素を作り出し、そのお陰で空中にオゾン層が出来、常に宇宙から放射されている放射線や紫外線から身を守ることが可能となったのが約27億年前で、生物(植物が先で、動物はもっと後)が地上に進出したのが約20億年前です。そして私たちの祖先である多細胞生物が発生したのが約10億年前です。


次に動物は多細胞生物から口・腸・肛門で形成する"ホヤ"のような状態に進化させ、多くの年月をかけて、"魚"にまで進化を続けます。つまり脊柱動物となったのです。ここからが重要です。


"魚"の背骨の形態を思い浮かべてください。真っ直ぐな直線ですよね。曲がることもなく、一直線の形をしています。これも忘れずに、しっかりと頭の中にしまっておいて下さい。


さてここで、地上に上陸した動物(両生類や爬虫類、または哺乳類)に待ち構えていた大きな問題が2つあります。


第1が酸素の濃度の違いです。海の中では鰓呼吸で海水から酸素を吸収していましたが、陸上では空気から酸素を吸収しなければなりません。そこで陸上に上陸した動物は、鼻や口から酸素を吸収できるように進化させました。


第2の問題は、海中と地上の"重力"の違いです。海中に比べて、地上は6倍も多くの重力があります。地上に上陸した動物はヒレを進化させ、手足を作って行きます。つまり四つ足動物に進化させて行きました。しかし問題は重力に対応する方法です。


以前、慢性的な腰痛を持つ水泳のコーチを診させて頂いた時、そのコーチは「地上から指導するよりも、プールに入って指導する方が腰の負担が全然違う」と教えてくれました。水中の方が、重力による負担が異なり、かなり軽減するからです。


そこで陸上に上陸した動物は、背骨に大きなカーブを作り上げました。重力に対応するために、大きなCカーブを作ったのです。これは大昔の橋を思い出して頂ければ、理解できると思います。昔の橋は、現代の直線の橋ではなく、大きな弯曲を描いた形が幾つも繋げた形をしていますよね。これは直線では重力に対応できないので、Cの字を右側に倒したような状態を作らなければ、重力に対応できないからです。もちろん今では、技術が発展しで、真っ直ぐな橋を作れるようになりましたが、昔の橋は丸くなっています(もちろん吊り橋は直線ですが、地上に作られた昔の橋は、丸く作るしかなかったのだと想像できます。


海中では真っ直ぐだった背骨は、大きなCカーブを描くようにして、重力に対応できるように進化させたのです。これは今でも多くの爬虫類は変わらずに、同じ形態を維持しています。


しかしCカーブですと、常に目が下向きになり、遠くの敵やエサを見渡すことが出来ません。そこで哺乳類は、首に反対側のCカーブを作り、首を立て、遠くを見渡せるように進化させます。


つまり首に逆Cカーブと、残りの背中にCを右に倒したCカーブを形成させたことになります。皆さんの周りにいる犬や猫を観察すると、「ナルホド」と納得できると思います。これで脊柱には、2つのカーブ(彎曲"わんきょく"と呼びます)が出来たことになります。これも大切な部分なので忘れないでください。


私たちの祖先である猿人は、おそらく500~700万年前に発生したと考えられています。つまり二本足歩行を特徴とします。それから滅亡と進化を続け、ホモ・サピエンスと呼ばれる私たちの祖先は、20万年前にアフリカで発生したと予想されています。


ここで注目することがあります。猿人を始めとする二本足歩行を獲得した私たちと、四つ足歩行で生活する哺乳類との、大きな違いは何でしょう。


今までに読んできた本には、脊柱に及ぶ彎曲について、余り強調したり注目した本に巡り合っていませんが、自分が確信していることは、二本足で直立歩行するために私たち人間は、他の哺乳類と異なり、腰椎に頸椎と同じCカーブを作ったことです。つまり私たち人間には、頚椎と腰椎の逆Cカーブ(前彎"ぜんわん"と呼びます)と、胸椎のCカーブ(後彎"こうわん")を形成したことで、二本足歩行が可能となったと考えられるのです。


ここで強調したいのは、腰椎の前彎です。表現を変えれば、私たちは腰椎に前彎を築くことで、初めて二本足歩行が出来るように進化したと言えます。つまり歩いたり、走ったりするためには、腰椎の前彎が大切で重要な役割を果たしていることを意味します。


私たち人間は、正常な胸椎の後彎と、頚椎と腰椎の正常な前彎を形成する必要があるのです。そしてその彎曲は大きすぎてもダメで、反対に彎曲が小さくなっても、無くなっても悪影響が生じる結果となります。


この脊柱に及ぶ正常な彎曲が、私たちの健康に大きな影響を与えているのです。

第3章  椎間板

この章では、椎間板について考えているのですが、どこまで調べて良いのかに戸惑い、悩んでいます。もう少し時間を下さい。


椎間板の重要性は、何となく理解できるのですが、他の動物との比較も重要だと思いますし、構造の違いや、構造の意味も考える必要があると思い、立ち止まっています。


マッケンジー理論とカイロプラクティックは、10年スパンで完成させるつもりなので、時々立ち寄ってください。


年に数回しか更新できないと思いますが、長い目で暖かく見守り下さい。


よろしくお願いします。




長い間、続編をご報告できなくて、申し訳ありません。

実は“”“椎間板”をご紹介するために、色々と調べて行く内に、大きな壁にぶつかったのです。


自分は今まで、学校(カイロプラクティック大学)では、頚椎や腰痛ヘルニアは、体重あ重量九が栄養して生じるものだと教えられ、自分も納得して、また信じてきました。

二本足歩行して以来、約60万年、四つ足歩行から移行した人間はまだ、自然に対応できていないのだと考えていました。


しかしある時、獣医を務める高校生の同級生から意外なことを教えてもらったのです。それは「犬や猫も腰椎ヘルニアになる」という事実でした。


ショックでした。四つ足歩行をしている動物には、体重や重力による負荷は小さいはずで、ヘルニアになるとは考えも及びませんでした。


以来、今でも“理由”に模索しております。


もう暫く時間を下さい。凡才なので時間がかかるとは思いますが、必ず新たな可能性を考え出します。